戦争にまつわる不思議な話

不思議な話

夢枕に立つ母

今は亡き祖母から生前聞いた話です。
祖母は信心深く、お坊さんを呼ばずとも自分で経典を読んで月命日等にお経を唱えていました。
私は信心とかまったくないので祖母の信心深さが謎だったのですが、戦争中のある体験でそのようになったということでした。

祖母が体験したのは空襲があった時です。
空襲の前夜、祖母の夢枕に母(私からみて曾祖母)が立ったそうです。
その時に母から、お堀へ行くなと言われたとのこと。
この時はまだ空襲される前なので、母は一体何を言っているんだと不思議に思ったそうです。

朝起きてからも夢の記憶は残っており、不思議に思っていました。
すると空襲が起き、近くに住んでいる人はみんなお城へ避難しました。
空襲で家は焼け、周囲はものすごい熱気。
文字通り焦熱地獄のような状態だったので、みんなお城の周囲を囲んでいるお堀へ飛び込みに行ったんだとか。
でも祖母はその時に母の「お堀へ行くな」という言葉を思い出してお堀へは行かず、お堀とは逆方向にある防空壕で難を逃れました。

その後自宅へ戻ってくると家は燃えてなくなっていて、愕然としたそうです。
とはいえ命があっただけマシかと思って落ち着きを取り戻したのですが、その時にお堀へ行ってたらどうなったか気になったんだとか。
そこでお堀へ様子を見に行ってみたら、そこは死体だらけ。
お堀へ飛び込んだ人はみんな死んでいたそうです。
周囲が燃える熱によってお堀の水は熱湯になっていて、みんな茹で死んだんだとか。

もし母が夢枕に立ってくれていなかったら、間違いなく自分もお堀へ飛び込んで死んでいた。
自分を助ける為に母が来てくれたんだと考えるようになり、その時から祖母は信心深くなったそうでした。

戦場に眠る子どもたちの魂

私の祖父は第二次世界大戦中に通信兵として過酷な任務に就いていました。祖父が配属されたのは、深い山間部にある陣地で、冬の寒さと不安に包まれた日々が続いていました。ある晩、祖父たちが厳戒態勢の中で夜を過ごしていると、突然、遠くの森の方から子どもの笑い声が響いてきたそうです。その声は最初はかすかでしたが、だんだん近づいてきて、兵士たちは緊張を強いられていたものの、なぜかその笑い声に不思議な安心感を覚えたと言います。

やがて、暗闇の中で小さな光の玉がゆらゆらと漂い始めました。その光は幽霊のようにも見えましたが、決して恐ろしいものではなく、どこか暖かみがあり、優しい雰囲気を漂わせていました。兵士たちはその光に導かれるように落ち着きを取り戻し、不思議なことにその晩はこれまでの緊張感が和らぎ、安らかな時間を過ごせたそうです。

翌朝、祖父たちはその場所を詳しく調べました。すると、以前は危険だとされていた罠や地雷が不思議なことに消えており、その場所を通る兵士たちの命を守っていたことがわかりました。祖父は「あの夜の光は、戦場に眠る子どもたちの魂や精霊が僕たちを守ってくれたのかもしれない」と語っていました。

この体験談は、戦争の厳しい現実の中にひそむ、ほのかな希望や慰めの象徴として、私たち家族の心に深く刻まれています。戦場という過酷な環境でも、どこかに人の心を癒し、守ってくれる存在がいるのではないかと感じさせる不思議な話です。祖父の話は、戦争の記憶を風化させず、同時に人間の温かさや神秘を伝える貴重な証言となっています。

因果応報

私の祖母が生前に話していたことです。
祖母の家の近所に、庭に小さな地蔵を置き、毎日朝夕欠かさず拝む男性が住んでいました。雨や雪の日も変わらず、地蔵の前で長時間手を合わせている姿がよく見られたそうです。

その男性は若い頃、日中戦争に出征していました。祖母が人づてに聞いた話では、戦地で略奪行為や捕虜への拷問を行っていたということです。特にある捕虜に対しては、手足が使えなくなるまで殴りつけたと噂されていた。自分が殺されるかもしれない極限状態で、正常な判断ができなかったのかもしれません。そして、当時の日本人の感覚として中国人を劣った存在と見ていたので捕虜や抵抗できない人に対して罪悪感といったものはなかったのかもしれません。

戦後、日本に戻った男性は結婚し、子どもを授かりました。しかし、その子は生まれながらに足が不自由で、五歳を迎える前に亡くなったそうです。数年後、再び子どもが生まれましたが、やはり同じような足の障害を持っており、その子も五歳になる前に亡くなりました。

二人の子どもを授かるが同じ経過で亡くなったことで、男性は戦地での行為と何らかの因果関係があるのではないかと考えるようになったそうです。特に、捕虜を殴りつけたときの記憶が頭から離れず、あれは呪いではないかと恐れるようになったらしいです。

その後、男性は自ら地蔵を彫り、庭に安置しました。以来、毎日欠かさず手を合わせる生活を続けたということです。祖母は、その姿を近所の人々も当たり前のように見かけていたと語っていました。

防空壕で聞こえる女性の歌声

僕の祖父から聞いた話なんですが、第二次世界大戦中の沖縄で、祖父が体験した不思議な出来事があるんです。祖父は当時、20代前半で、沖縄戦のさなかに防空壕で仲間たちと身を潜めてた。1945年の6月頃、戦闘が激しくて、毎日爆音と銃声が響く中、食料も水もほとんどない状態だったって。ある夜、壕の中でみんなが疲れ果ててうとうとしてると、突然、若い女性の歌声が聞こえてきたんだそうです。

祖父たちは怖がりながらも、その歌声に妙に心が落ち着くのを感じたそうです。戦場で死と隣り合わせの毎日だったから、ちょっとした安らぎだったのかもしれないですね。その声は30分くらい続いて、ふっと消えた。でも、不思議なことに、その夜は敵の攻撃がなくて、みんな少しだけ眠れたんだそうです。次の日、壕の外を確認したけど、誰もいなかったし、歌声の主がどこから来たのか、誰もわからなかったみたいです。

その歌声はいつも夜で、戦闘が一瞬静まるタイミングだった。仲間の中には「これは神様か、戦死した誰かの魂が守ってくれてるんだ」って言う人もいたけど、祖父はただ「沖縄の土地が何か言いたかったんじゃないか」って感じてたみたいです。戦後、祖父はその話をあまり人にしなかったけど、僕が小さい頃、夜にじいちゃんの家でこの話を聞いて、ゾクッとしたのを覚えてます。沖縄戦の記録とか読んでも、こういう話は出てこないけど、祖父の真剣な目を見てると、作り話じゃないなって思いました。

今でも、沖縄の戦跡を訪れるたびに、祖父の話を思い出して、ちょっと耳を澄ませちゃいますね。もしかしたら、あの歌声は戦場で亡くなった人たちの想いだったのかな、とか、沖縄の自然や文化が何か伝えたかったのかな、なんて想像してます。

白衣の女の霊

太平洋戦争中、祖父が兵隊として満州にいた頃のことだ。あの冬は特に寒く、夜になると森の冷たい風が骨まで染みたと言っていた。祖父の部隊はある晩、深い森の中にある古い廃屋に泊まることになった。月明かりはほとんどなく、周囲は静まり返っていて、焚き火の明かりだけが頼りだった。
その夜、焚き火を囲みながら皆で体を温めていると、突然、遠くの方から「ヒュウ…ヒュウ…」と風の音とは違う、すすり泣くような声が聞こえてきたという。最初は気のせいかと思っていたが、その声はだんだんと近づいてきて、やがて森の影から白い服を着た女性の姿がぼんやりと浮かび上がった。
その女は無言でじっと祖父たちを見つめていたが、顔ははっきりせず霧の中にいるかのようにぼんやりとしていた。みんなは声を失い、ただその場に凍りついた。女は静かに近づいてきたかと思うと、ふっと姿を消してしまった。
翌朝、祖父たちはその廃屋を離れ、近くの村へ向かった。村の年寄りに昨夜のことを話すと、「ああ、それは満州の森に昔から出る“白衣の女”の霊だよ。戦争で家族や恋人を失った悲しみが形を変えて彷徨っているんだ」と教えてくれたという。
祖父はそれ以来、夜の森を通るときにはあの白い女の影を思い出し、背筋が寒くなると言った。戦争で命を落とした多くの人々の魂が、あの森にまだ残っているのだろうと。
あの夜のすすり泣きの声と、冷たい風の音は今も耳にこびりついて離れない。と祖父は言っていた。

非業の死を遂げた幼馴染の霊

私の叔父は、戦争の頃、小学校4年生だったと聞いています。その叔父が、最近になって戦争の時の話をするようになってきました。戦禍の中、叔父は友達二人で道を歩いているときに、空襲警報も出されていなかったので、空に2機の飛行機が飛んでいたけれど、日本軍だと思って安心して歩いていたらしいです。すると、突然その中の1機が急降下してきて、叔父と友達をめがけて機銃掃射で撃ってきました。考える暇などなく、走って走ってちょうど竹薮があったので、そこに逃げこみました。竹薮の中まで撃ってきたのですが、辛うじで助かりました。グラマン戦闘機の恐ろしさは身にしみたといっておりました。本当に一生忘れることの出来ない恐い思い出だと言ってました。

一緒に、逃げまくった友達の男の子は足を撃ち抜かれて、重傷を負いました。その後の治療むなしく、熱病にかかってしまい若くしてこの世を去りました。叔父と亡くなった男の子が米軍機に襲われた場所には、よく見ると石板が置かれてあり、戦争中にこの場所でグラマン機銃掃射で1人の少年が亡くなったことが簡単に書かれてあります。

その場所は、戦時中から飛行場の近くにあり、それは今も変わりません。戦争が終わって50年が経ったころから、妙なことが夏の時期に起きるようになりました。それも、終戦記念日の前日か、終戦記念日に限って起きるので妙な感じがしました。30年前には、石版の上に近くの飛行場から飛び立ったセスナ機が、離陸に失敗してきりもみしながら落ちて来ました。20年前には、通行していたトラックから工事用資材が、集団登校していた小学生の上に、覆いかぶさるように落ちて、小学4年生の男の子が足に大ケガをしました。

そして10年前には、単車に二人乗りしていた大人と後ろに乗っていた男の子が石版のあたりで転倒して、小学4年生の男の子が、右足に大ケガをおって救急車で搬送されました。これら以外にも、子供が足をケガする事案は、毎年夏場に発生していました。

それで、今まで戦争のことを話さなかった叔父が重い口を開くようになったのでした。それまでもかなり異様なものを感じた叔父は、「お祓いをしなければ・・いけない・・・やつをきちんと弔ってやらないと・・」と言いだして、近く寺のお坊さんを担ぎ出して、簡単なお祓いをしたのが5年前でした。それ以降は、怪しげなことはピタっと起こらなくなりました。ただ、去年の夏、石版の近くの地面が、下水道の漏れがあり、急に陥没して石版自体が忽然と消えてしまいました。

今年は何が起きるのか・・・少し心配です。

海底から引き上げられた零戦

私はいわゆるミリオタで、主に第二次世界大戦時の兵器を調べてきました。もう20年ほど前の学生時代になりますが、実家に帰省した際、県内にある旧海軍飛行場跡地に海から引き上げられた零戦が展示されているというニュースを目にして、見に行くことにしました。

果たして実際に現地に到着すると、戦争当時から現存する格納庫(掩体壕)の中にその零戦はありました。海から引き上げられたとはいえ、機体全体があるものと思っていた自身の予想に反し、それはエンジンカウリングからコックピットの半分くらいまでの状態で、あまりに痛々しいものでした。少し期待はずれではあったものの、実物の零戦を見るのは初めてだったのでカメラを取り出し写真を撮ることにしました。

しかし実際にカメラを構えてみると、気持ちとは逆に写真が撮れないのです。機体を直視できないというか、急に寒気のようなものを感じるようになりました。ちょうど心霊スポットといわれるトンネルを通った時に感じた時の状況に似ていたので、私は少し怖くなって結局カメラのシャッターは最後まできれませんでした。

連れて行ってくれた母親にはせっかく行ったのになどいわれましたが、後になって冷静に考えてみると撃墜されたにせよ不時着したにせよ、搭乗していたパイロットも海に沈んでいた可能性も大いに考えられるため、無理に写真を撮らずに良かったと思っています。その後何度か当時の兵器を見たり、特攻兵器の基地跡など訪れたりしましたが、その時のような体験をしたことはありません。

白い服を着た現地の女性

戦争には、銃弾や爆撃の音にまぎれて、人知を超えた不思議な出来事や怪異譚が数多く語り継がれています。

たとえば太平洋戦争中、南方戦線に派遣された兵士の中には、戦場で亡くなった仲間の姿を何度も目撃したという証言があります。ある部隊では、夜間の哨戒中に、数日前に戦死したはずの兵士が列の最後尾を歩いているのを見たという報告がありました。

確認すると、彼は消えるように姿を消し、その場は異様な静けさに包まれたといいます。また、第二次世界大戦のビルマ戦線では、撤退中の日本兵が「白い服を着た現地の女性」に導かれて安全地帯に辿り着いたという逸話があります。しかし、後に現地人に尋ねても、そのような人物は存在しなかったとされ、「守護霊」や「土地神」の仕業ではないかと噂されました。

モンスの天使

ヨーロッパ戦線でも怪異は存在していて、第一次世界大戦の「モンスの天使」伝説では、劣勢のイギリス軍兵士が敵に包囲され絶望的な状況に陥った際、天使のような存在や中世騎士の幻影が現れ、ドイツ軍の進軍を阻んだという証言が相次ぎました。

真偽は不明ですが、多くの兵士が同様の光景を目撃したと主張し、士気高揚のための作り話とする説もあれば、極限状態での集団幻覚とも言われています。戦場という極限の場では、人間の感覚が研ぎ澄まされ、時に常識では説明できない現象が起こるのかもしれません。

これらの話は、単なる迷信や作り話と片付けられることもできますが、当事者たちの証言はどこか生々しく、聞く者に戦争の恐怖と不可思議さを同時に感じます。まさに「死」と隣り合わせの場所だからこそ、生と死の境界があいまいになり、こうした怪異譚が生まれるのかもしれません。

空に消えていくパイロット

第二次世界大戦中のイギリスで語り継がれる、不思議な話があります。それは、激戦地となった空で、戦闘機乗りたちが目撃したという幻影の話です。

ある日のこと、イギリス空軍のパイロットが敵の戦闘機と交戦中、信じられない光景を目にしました。破壊されたはずの敵機から、パイロットの姿が立ち上がり、そのまま空へと消えていったのです。その姿は実体を持たず、まるで煙のように薄かったといいます。

この話は、多くのパイロットによって語られました。彼らは、戦場で命を落とした敵兵の魂が、最後の瞬間まで空に留まろうとしているのではないかと信じていました。中には、敵のパイロットが敬礼をして去っていくのを見たという者もおり、敵味方を超えた戦士の魂の交流として、静かに受け止められていました。

この話の真偽は定かではありません。しかし、極限状態の戦場で命がけで戦う彼らにとって、死者の魂を視るという体験は、生と死の境界線を考えさせられるものであったに違いありません。それは、自分もいつかは同じ運命をたどるかもしれないという恐怖や、同時に死者への畏敬の念から生まれた、一種の集団的な幻覚だったのかもしれません。

戦争という非日常の中で、人間は様々な超常現象に遭遇すると言われています。この話は、命を賭して戦った人々の心に深く刻まれた、戦争の悲劇と人間の尊厳を物語っているのかもしれません。それは、敵味方関係なく、同じ空を飛んだ戦友として、互いを悼む気持ちの表れだったのではないでしょうか。

この話は、激しい戦闘の影に隠された、兵士たちの人間らしい一面を垣間見せてくれます。戦争の理不尽さ、そしてそこから生まれる不思議な現象は、現代を生きる私たちに、改めて平和の尊さを訴えかけているのかもしれません。

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