山にまつわる不思議な話

不思議な話

後ろを歩くモノ

自分が体験したのは、地元の山での出来事です。標高は高くない山ですが、昔から地元では夜は近づくなと言われてきました。
はっきりとした理由は聞いたことがなかったのですが、子どもの頃からなんとなくその山には不気味な印象を持っていました。

その日、久しぶりの休日で気分転換に軽い登山に行こうと思い、思いつきでその山に向かいました。昼過ぎに登り始めたのですが、思ったより景色が良くて、ついつい時間を忘れてしまい、気づけば夕方近くになっていました。
さすがに暗くなる前に下山しようと慌てて引き返し始めたのですが、途中で違和感を覚えました。
さっきまで晴れていた空が急に曇ってきて、周囲が妙に静かになったのです。風も止まり、鳥の鳴き声も聞こえなくなりました。進んでいた登山道も、なんとなく見覚えがなく、同じような場所をぐるぐる歩いているような感覚になりました。

スマホの地図を見ようとしたのですが、なぜかGPSがうまく反応せず、方角が定まらない状態になりました。
焦り始めたとき、背後から誰かの足音のような音が聞こえてきました。振り返っても誰もいないのに、また少し歩くと、確かに後ろで落ち葉を踏む音がしました。
怖くなって走るように下山を続けたところ、突然、空が開けたように明るくなり、見覚えのある道に出ることができました。
さっきまでの異常な静けさや足音は嘘のように消えていて、そのまま無事に下山することができました。

家に帰ってから両親にその話をしたところ、昔からその山では人ではないものに後ろを歩かれることがあると言われていると聞きました。
自分は霊などを信じない方ですが、あの日の体験は今でも説明がつきません。

キャンプ場で見た白い影

僕が大学時代、20歳くらいの時の話です。友達4人と一緒に、山梨県の西湖近くの山にキャンプに行ったんですが、夏の終わりの涼しい時期で、テント張ってバーベキューして、夜は焚き火を囲んでビール飲んで、最高の気分でした。西湖のあたりって、青木ヶ原樹海の近くで、ちょっと不気味な噂もあるけど、僕らは「そんなのただの話でしょ」って笑ってました。夜11時くらい、みんなで怖い話してたんですけど、その中の一人、ケンタが「この山、昔、行方不明者が何人も出たって聞いたぞ」なんて言い出して。まあ、雰囲気作りだろって、みんなで「やめろよー」って笑ってたんです。

そしたら、急に焚き火の向こうの暗闇から、ガサッて音がしたんです。最初は「鹿かな?」「風かな?」って思ったけど、音がだんだん近づいてくる。ガサガサッて、なんか重いものが動いてる感じ。僕、ITの人間なんで普段は論理的なんだけど、この時は心臓バクバク。友達の一人が「誰かいる?」って叫んだら、音がピタッと止まったんです。それで、懐中電灯持って4人でそっちの方向を照らしてみたけど、何も見えない。ただ、木々の間に、なんかモヤッとした白い影みたいなのが一瞬見えた気がして。ケンタが「やばい、幽霊じゃん!」って騒ぐから、みんな半笑いで「バカ言うな」って誤魔化したけど、正直、めっちゃ怖かった。

その夜、テントで寝ようとしたけど、なんか変な雰囲気。寝袋の中で、遠くから「コポコポ」って、水が沸くみたいな音が聞こえてきたんです。西湖の湖畔から50メートルくらいしか離れてない場所だったけど、こんな時間にそんな音、普通しないですよね。僕、怖くて耳塞いで寝ました。朝になって、みんなで「昨日のあれ、なんだったんだろ」って話したけど、誰もハッキリとは言わず。後日、地元のキャンプ仲間に話したら、「あの辺、昔、遭難した人が出るって噂あるよ。白い影とか、夜の音とか、よく聞く話だ」って。マジかよって思いましたよ。

今でも、あの白い影が本当に何か分からないけど、ただの気のせいじゃない気がしてます。ITの仕事してると、データやロジックで物事考える癖がつくけど、山の夜って、なんか説明できない空気があるんですよね。息子がもう少し大きくなったら、一緒にキャンプ行きたいけど、あの山はちょっと避けようかな(笑)。あの時のゾクッとした感じ、今でも忘れられないです。

子どもの手跡

私は若い頃登山やキャンプが趣味で良く山に行っていました。そこであった不思議で怖い体験を紹介します。

あれは友達と登山をしてたときでした。2時間くらい歩いたところでそれなりに高い場所にいました。後ろから子供の声が聞こえました。「きっと子連れの登山客がいるんだな」と思っていました。
ですが、その声がどんどん大きくなっていくのです。間違いなく男の子の声でした。私たちは登山慣れしているので歩くのは速い方だと思います。ですので、子供の声がどんどん大きくなっているので走っているのかな?と思っていました。

そこで途中で友達が疲れたというので途中休憩することにしました。ちょっと座る場所があったため登山の途中で休みました。子連れの登山客が先に行ってしまうのかな?と思っていてもまったく来る気配はしません。ですが、子供が何か話している声だけは聞こえるのです。「あれ?」と思っていました。私たちは30分くらい休憩しているので抜かされると思っていたからです。

もしかしたらその子連れの人たちも休んでいるのだろうと思っていました。そして、その日はテントで休み、次の日に下山して帰るために車まで向かいました。そうしたら、子どもの手跡がたくさんあり、みんなで悲鳴をあげました。一つだけでなく車中についているのです。その時に初めて山などの自然が怖いと思いました。その後みんなで震えながら帰りましたが、無事に到着しました。その後怖かったのでみんなでお払いにいきました。

山の中で拾った人形

これは僕が中学二年生の時のエピソードです。当時は山に近いところに住んでおり、よくおじいちゃんが山菜採りやキノコ採りに行ってました。僕もおじいちゃんについて行きたいと思ったのですが、「山は危険だからお前にはまだ早いぞ」といつも言われていました。しかし根気強くお願いをしていると、ある日おじいちゃんが山に連れていってくれることになりました。もうすぐで中学生3年生にもなる年齢だったので、そろそろ良いだろうと思ってくれたのだと思います。

山に到着したあと、おじいちゃんの指示を聞きながら、ちゃんと採ってもいい山菜とキノコを見極めながら進んでいきました。すると、人がいないはずの方向からガサガサと草を揺らすような音がしました。気のせいかなと思い無視してたら、また同じ方向からガサガサと音がしました。もし熊とかがいたら大変なのでおじいちゃんを呼んで、そこ音の方向を確かめてみました。

どんどん近づいていくと、そこにはボロボロの人形が落ちていることがわかりました。それを見ておじいちゃんは「あぁ、気づいてほしくて音を鳴らしたんやな。可哀想だから拾っちゃるわ。」と言って、その人形をリュックの中にしまい込みました。そこからは、さっきまでガサガサ鳴っていた音が全くしなくなりました。おうちに帰ったあとおじいちゃんに聞いてみると、あの人形には魂が宿っていたから、寂しくて音を鳴らしてきたんだと説明してくれました。それからしばらくして、山の中の人形はおじいちゃんがお寺へ持っていき、ちゃんとした供養をしてもらったそうです。

霧の中で聞こえた鈴

二十代の頃、北アルプスの麓で経験した出来事です。当時、私は友人数名とテント泊で縦走を楽しんでいました。天候は急変しやすく、ある日、私たちは濃い霧に包まれた夜道を歩くことになってしまいました。ヘッドランプの光はせいぜい数メートル先までしか届かず、足元の道すら判別しにくい状況でした。

友人の一人が地図を見て「この尾根を下れば、すぐに山小屋の灯りが見えるはずだ」と進路を決定しました。しかし、数十分歩いても下りきる気配がなく、いつの間にか道幅が異常に広く、両脇が深い闇になっている奇妙な場所に出てしまいました。道、というよりは、平坦な広場を延々と歩いているような感覚です。

私たちは不安になり立ち止まりました。そこで友人の一人が「おかしい。地図上、このルートにはこんな広い場所はない」と呟きました。その時、微かに鈴の音が聞こえてきたのです。チリン、チリン…という、鹿よけにしては妙に規則正しく、澄んだ音色。音は私たちの背後、つまり、私たちが歩いてきた方向から近づいてきます。

私たちは、誰か他の登山者がいるなら声をかけようとしましたが、霧が濃すぎて姿は見えません。しかし、鈴の音は私たちのすぐ背後にまで来て、一度、止まりました。そして、友人の一人が持っていたザックの何かが、わずかに触れられたような、微かな感触と同時に、鈴の音は「チリン」とたった一回だけ鳴り、その瞬間、すべての霧がまるで嘘のように一気に晴れました。

驚くべきことに、私たちの目の前には、先ほどまで歩いていたはずの尾根道が垂直に切り立ってそびえており、私たちは本来の道から右に大きく逸れた、崖っぷちの狭い踏み跡に立っていたのです。しかも、その崖の下は深い谷。もしあのまま霧の広場(のような場所)を直進していたら、谷底に落ちていたのは確実でした。

あの霧の中で私たちを誘った「見えない道」は何だったのか。そして、鈴の音の主は、私たちを元の道に戻してくれた、山の何らかの存在だったのか。今でもあの夜の出来事を思い出すと、背筋が凍りつきます。山が持つ、人知を超えた力を身をもって知った瞬間でした。

見えない登山者

数年前、夏の終わりに友人と山登りをしたときのことです。昼間は空気も澄み、天気も申し分なく、登山道には同じように山を楽しむ人々の姿がありました。笑い声や談笑が響き、山はどこか賑やかな雰囲気に包まれていました。しかし、午後になると人の数は徐々に減り、夕方を迎える頃にはあたり一帯が嘘のように静かになっていったのです。鳥の鳴き声も消え、風の音と自分たちの足音だけが耳に残るような、不思議な静けさでした。

私たちは予定よりも遅れて山小屋にたどり着きました。山小屋の管理人は無口な人で、必要最低限のことしか話さず、私たちに鍵と簡単な注意事項を伝えると、すぐに奥の部屋へ引っ込んでしまいました。その雰囲気に少し気圧されながらも、私たちは持参した食事を簡単に済ませ、疲れもあってすぐに眠りにつきました。

深夜、ふと目が覚めたときです。窓の外から「ザッ、ザッ」という砂利を踏むような足音が確かに聞こえてきました。こんな時間に山道を歩く登山者がいるはずもなく、不審に思いながら布団の中で耳を澄ましました。足音は一定の間隔で続き、やがて小屋の周囲をぐるりと回るように移動していきます。友人を起こそうか迷った瞬間、足音は突然ぴたりと止みました。外は闇に包まれ、月明かりすら差し込まず、ただ重苦しい沈黙だけが漂っていました。心臓の鼓動がやけに大きく聞こえ、再び眠りに落ちるまでかなりの時間を要しました。

翌朝、恐る恐る外に出てみると、小屋のまわりに新しい足跡が点々と残っていました。ところがそれは人間にしては異様に大きく、しかし熊などの山岳動物にしてはあまりに形が整いすぎていたのです。まるで誰かが意図的に「人の形に近い足跡」を残したかのようで、私も友人も言葉を失いました。

朝食のとき、思い切って管理人に足跡のことを尋ねると、彼はしばらく黙った後、小さな声でこう言いました。
「……この小屋では、ときどき“見えない登山者”が現れる。夜道を歩く音がしたら、決して外を覗いてはいけない」
それ以上は何も語らず、質問しても無言で首を振るばかりでした。

下山の道すがら、友人と「本当にあれは人間のものだったのか」「見えない登山者とは何者なのか」と何度も話し合いました。しかし答えは出ず、ただあの夜の足音だけが耳にこびりついたまま、今でも忘れることができません。
それ以来、私は山に入るときは必ず熊除けの鈴を持ち、そして日のあるうちに下山することを徹底しています。自然の中には、人間の理屈では説明できない何かが潜んでいるのかもしれない――。そう強く感じさせられた出来事でした。

山道に立つ女

これは、私の親せきから聞いた話です。

夜遅くに、子どもの体調が悪くて山道を救急病院へ向けて走っていた時のことでした。その日は激しい風で、山道を通るのは危険でした。病院へ行くための道は二通りあって、なるべく早く病院へ行くためには、車ですれ違うには少し危険な道を通らなければなりません。なんとか早く行こうとその道を通るために車を走らせていました。山の中腹の、険しい道に差し掛かろうとしたときでした。突然、運転席の前の窓に大きな葉が雨水ではりついて前が見えなくなりました。仕方なく雨の中外に出て、その葉を取り除き、再び車を走らせようとヘッドライトをつけた時でした。前方に、髪の毛が濡れた女の人が立っているではありませんか。不思議に思って車を止めると女の姿はありません。ところが、またヘッドライトをつけて発進しようとすると、やはり女の人が立っているのです。気味が悪くなり、少し手前のUターンできそうな道幅のところで転回して戻り、仕方なくもう一方の道で行くことにしたそうです。

幸い、病院に間に合い、子どもの病状は事なきを得ました。その翌日、新聞記事で女の人が立っていた辺りで大規模ながけ崩れがあり、そのがけ崩れがあったのがちょうど病院へ向かっていた時間帯だったことを知ったのです。なんでも、その場所は時々がけ崩れがあり、その昔に女性が亡くなったこともあったそうです。

もしかしたら、その場所に住んでいる山の神や霊が、危険を察知してそこを通らないように警告してくれたのだろう、と言われているそうです。

神社の裏山

小学校4年生の夏休みのことでした。

その頃、私は近所の子と公園で野球をしたり、神社でかくれんぼをしたり、神社の裏山に登ったり、多い時は10人近くで頻繁に遊んでいました。この日も小学校2年生になる弟やお向かいの家の小学校6年生のお姉ちゃんを含めた、近所の友達8人が集まり、家の近くの神社でいつものようにかくれんぼをしていました。

神社の御社殿の前にある灯篭のところで、鬼になった同級生の男の子が20までゆっくり数えて「もういいかい?」と確認してきました。みんな隠れた場所から「もういいよ」「まぁだだよ」と声が聞こえ、これを3回繰り返したところでかくれんぼが始まりました。私たちのルールでは一度隠れてからの移動もOKなので、鬼になるとかなり面倒なのです。

ちょっとしたいたずら心もあり、私たち数人は裏山へ隠れることにしました。私は鬼の見張り役を兼ねて裏山の木の上に登り、神社の様子を上から見ていました。近くに隠れていた女の子たちや最年少の男の子はすぐに見つかってしまいましたが、私たちを見つけることはできません。

17時に山の上にあるサイレン塔から夕焼け小焼けの音楽が流れてきて、鬼は「僕の負けでいいから、出てきて」と大声でギブアップ宣言。私はそれを確認し、木から降り神社の方へ向かいました。灯篭に集合すると、鬼は「どこにいたの?ぜんぜんわからなかった」と悔しそうに言ってきました。

私が「ごめんごめん、みんなで山に登ってたからね」と言うと、「じゃあ見つけられないのも仕方ないよね、今度からは山はなしだからね」と鬼をしていた友人が強く念を押してきます。ここで鬼が「〇〇君と〇〇君は?」とそこに2人足りないことを指摘しました。

一緒に山に隠れたはずの2人が戻ってきていません。みんなで大きな声で「〇〇君、〇〇君」と呼んでも返事が聞こえません。ちょうどそこに近所のおじさんが現れ、「遅いから早く家に帰れよ」と一言。

私たちが事情を説明すると、おじさんは急に何かを思い出したらしく、神社の社務所の裏側へ走っていき、私たちが隠れたときと同じように山へ駆け上がっていきました。それから20分近くして、おじさんは2人を連れて山から下りてきましたが、2人は大泣き。おじさんに叱られたのだと思っていたのですが、「動けなかった、声も出せなかった」と2人が言うのです。いわゆる「金縛り」のような状態ですが、2人が同時にその状態になっていたことが私には信じられませんでした。

おじさんは「ここから山に登って、2人がいた場所に行ってはいけない、帰れなくなるから」と私たちに話してくれました。これ以上のことを話すことも許されていませんので、私たちもこれだけしか言えないのです。ただ言えることは、あの神社の裏山には子どもだけで行ってはいけないということです。

山中で聞こえたっ鈴の音

大学生の頃、一人でよく奥多摩の山に登っていました。何度も歩いた慣れたコースだったはずなのですが、その日はなぜか途中で道に迷ってしまったのです。標識は見当たらず、コンパスも同じ場所を指してぐるぐる回るだけ。次第に深い霧が立ち込め、鳥の声すら聞こえない不気味な静寂に包まれました。

日も暮れかけ、焦り始めたその時、霧の奥から「チリン…」と、澄んだ鈴の音が一度だけ聞こえたのです。他の登山者だ、と安堵した私は、声の限り叫びました。すると、また少し離れた場所で「チリン…」。返事はありませんでしたが、私は助けを求めて、その鈴の音だけを頼りに霧の中を進みました。

奇妙だったのは、その鈴の音が、歩くたびに鳴るような規則的なものではなく、忘れた頃に、全く違う方向から一度だけ聞こえてくることでした。それでも必死に音を追いかけ、一時間ほど歩いたでしょうか。ふと霧が晴れた先に、古びて苔むした小さな祠があるのが見えました。鈴の音は、その祠の中から聞こえてくるような気がしました。

吸い寄せられるように祠へ一歩踏み出した瞬間、強い風が吹き抜け、嘘のように霧が完全に晴れ渡ったのです。驚いて周りを見渡すと、私は数時間前に自分が歩いていたはずの、見慣れた登山道のど真ん中に立っていました。もちろん、祠などどこにもありません。

急いで下山し、駅前の茶屋でその話をすると、店主の老人が顔を青くして「あんた、運が良かったな。山で一人でいる時に鈴の音が聞こえたら、絶対についていっちゃいけねえんだ」とだけ言いました。あの鈴の音が何だったのか、今でも分かりません。

山神様

わたしの実家は東北の山深くにあり隣の家まで数百メートル離れているようなとても田舎でした。この地方では古くから「山神様」と呼ばれるご神木を集落の外れにある神社で祀っており、年に一度お祭りを行って山神様に奉納をしていました。その山神様と呼ばれる大きな木を進んでいくと山に通じる山道が続いていて小さいときから「そこには一人で行ってはいけないよ、戻ってこれなくなるからね」とわたしや近所の子供たちは大人たちに教えられてきました。小さいながらにそれを信じ、わたしはなるべくその木に近づかないようにして育ちました。

小学3年生のある夏休みの日、友人たちと遊んでいる時に一人が山神様の先に何があるか見に行こう!と提案しました。わたしは怖がりと思われたくないためその提案を承諾し友人4人と山神様の先の道を山へ向かって進んで行きました。

山道を進んでいくうちに足元の道はだんだん獣道のように草が生い茂ってきてとても歩きづらくなってきて、帰りたい気持ちが強くなってきました。そのうち道が無くなりわたしたちは元来た道を戻ろうとしましたが、周りはどこも同じような光景で道に戻ることができなくなってしまいました。友人たちの中には楽観視している者もいれば今にも泣きそうな者もいてどうしていいいか分からなくなってしまいました。

夕方になりだんだん暗くなってきたとき、どこからともなく一匹のネコがわたしたちの前に現れました。餌をねだるでも近寄るわけでもなくわたしたちと一定の距離を保ちこちらを見ている状況でとても不思議な猫でした。
猫は斜面にいた私たちを誘導するように山を進みました。私たちは藁にもすがる思いでそのあとをついていきました。猫は逃げるように走るでもなく、時折こちらを一瞥し一定のスピードで進み続けました。30分ほど歩いたところで見覚えのある家が見えてきました。山に入った場所とはだいぶ違う場所に出てきてしまいましたが、無事私たちはその日の夜までに自宅に帰れることができました。その猫は山神様だったのかなとずっと思っています。

関連記事

特集記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

人気ランキング

  1. 1

    過疎化地域で起きた実話を話していく

  2. 2

    【日露戦争にまつわる不思議な話】日露戦争には神様や妖怪が参戦していた!?

  3. 3

    死者を生き返らせる呪術-平安時代の歌人「西行法師」が使った反魂の術

新着

  1. 山にまつわる不思議な話

  2. 戦争にまつわる不思議な話

  3. 【読者投稿】告別式でおきた不思議な体験

TOP
CLOSE