夏になると、各地の神社仏閣では戦没者を慰霊する行事が営まれる。なかでも東京・九段にある靖国神社では、毎年7月13日から16日にかけて「みたままつり」が斎行され、境内には3万を超える提灯が灯される。今年もちょうどこの期間にあたるが、華やかな灯りの下で、この神社にはある種の不思議な噂がひっそりと語り継がれてきた。
246万を超える御霊が祀られているとされるこの場所で、いったい何が目撃されてきたのか。今回は靖国神社にまつわる不思議な話を集めてみた。
戊辰戦争の戦没者を慰霊するために創建された「招魂社」
靖国神社の始まりは、明治2年(1869年)にまで遡る。戊辰戦争で命を落とした官軍の将兵を慰霊するため、大村益次郎の献策により現在の九段の地に「東京招魂社」が創建された。明治12年(1879年)、社号は「靖国神社」へと改められ、別格官幣社に列せられている。
以来、嘉永6年(1853年)以降の国事殉難者、合わせて246万6千余柱がこの地に祀られてきた。境内にある大村益次郎の銅像は、日本で最初につくられた西洋式銅像として知られ、彰義隊が立てこもった上野寛永寺の方角を見つめる姿で建てられているという。
桜の下で出会った「お水はどこですか」の日本兵
靖国神社は都内有数の桜の名所としても知られ、春には多くの花見客で賑わう。そんな花見の最中に語られた、ある体験談が知られている。
投稿者の母親が、花見客の飲み物を買い出しに一人で境内を歩いていたときのこと。背後から「カシャカシャ」という、何か重いものを引きずるような音が聞こえてきた。振り返ると、そこには戦時中の軍服に身を包んだ兵士の姿があったという。顔や身体には火傷の跡があり、後になって気づいたことだが、膝から下の姿が見当たらなかった。
その兵士は「お水はどこですか」とだけ尋ねてきた。母親が驚きながらも水道の方向を指し示すと、兵士はその方角へと走り去り、そのまま姿を消してしまったという。
「ここは心霊スポットではない」という声もある
これほどの数の御霊が祀られている場所であれば、当然「心霊スポット」として語られてもおかしくはない。しかし興味深いことに、霊感があるとされる人々の一部は「靖国神社は心霊スポットではない」と口を揃える。
その理由として挙げられるのが、神社という場そのものが持つ浄化の力である。祀られた御霊はきちんと鎮められ、神として丁重に扱われているため、さまよう霊のような不穏な気配は感じられない、という考え方だ。一方で、境内の資料館「遊就館」や参道では、今なお軍服姿の人影を見たという声が後を絶たない。鎮められているはずの場所で、なぜ人影が目撃され続けるのか——そこに、この神社ならではの不思議さがある。
3万の提灯が灯る「みたままつり」
そんな靖国神社が一年でもっとも賑わうのが、7月13日から16日の「みたままつり」だ。昭和22年(1947年)から続くこの祭りでは、期間中毎晩、本殿で御霊を慰める祭儀が執り行われ、境内には大小3万を超える提灯や雪洞が灯される。
お盆の時期とも重なるこの祭りは、遠い異国の地で命を落とした英霊たちが、一年に一度、故郷へと帰ってくる機会だともいわれている。無数の灯りが揺れる境内を歩けば、普段は静まり返っている場所に、確かに何かの「気配」が満ちているように感じられるという参拝者の声も少なくない。
オカルト研究室室長の考察
靖国神社は、政治的にも歴史的にも複雑な背景を持つ場所であり、そこに祀られた246万もの御霊一つひとつに、語りきれない物語があったはずだ。「お水はどこですか」と尋ねたという兵士も、戦地で喉の渇きに苦しみながら命を落とした、誰かの記憶の断片なのかもしれない。
提灯の灯りが揺れる夏の夜、もしその境内で誰かに道を尋ねられたら——それは案外、遠い夏の日から帰ってきた誰かなのかもしれない。
コメント