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常紋トンネル|人柱伝承

常紋トンネル|人柱伝承と1970年の人骨発見、怪談はなぜ語り継がれたのか

北海道のオホーツク地方、遠軽町と北見市を隔てる常紋峠。その地下を抜ける石北本線の常紋トンネルは、雨の日に「腹減った、飯くんろ」という声が聞こえる、血だらけの男が機関車の前に現れる、といった怪談で知られてきた。だがこの話の背景には、名前も残らない多くの労働者の死がある。怪談と史実を分けて整理しながら、このトンネルが語り継がれてきた意味をたどってみたい。

大正3年に開通した、全長507mの鉄道トンネル

常紋トンネルは1912年(明治45年)に着工し、1914年(大正3年)に開通したとされる。全長は507m、JR北海道石北本線の単線・非電化トンネルで、生田原駅と金華信号場の間に位置する。現在も現役の路線であり、列車が日常的に通っている。

過酷な工事と「百数十人」の犠牲

工事には、本州から集められた「タコ」と呼ばれる労働者が従事したとされる。わずかな食事で重労働を強いられ、死因の多くは脚気だったといわれ、倒れても治療を受けられず、遺体は坑内や周辺の山林に埋められたという。犠牲者の数は「100人を超える」あるいは「百数十人」と伝えられているが、これは実数として確定したものではなく、算出の根拠も確認できていない。当時の労働の実態を個別の公文書で裏付けた資料も、今回の調査では確認できなかった。

1970年、壁の奥から見つかった人骨

転機となったのが、1968年の十勝沖地震である。トンネルの壁が傷み、1970年9月の修復工事中に、レンガ壁の奥から人骨が見つかった。頭蓋骨には損傷があったと報じられている。工事中から、従わない労働者を殺して見せしめに埋めた、いわゆる「人柱」の話が保線区員の間で語られていたとされ、この発見によって伝承が事実だったと受け止められるようになった。ただし「人柱」は報道や伝承での呼び名であり、個々の遺骨の死因や殺害の経緯を詳しく示す資料は確認されていない。

遺骨の掘り起こしと、供養の歩み

この発見をきっかけに、小池喜孝氏らによる民衆史の掘り起こし運動が行われ、その後の発掘を含めて計10体の遺骨が収容されたと伝えられる。遺骨は留辺蘂の共同墓地にある「常紋トンネル殉職者之墓」に納められた。供養の歴史はさらに古く、1959年(昭和34年)には国鉄の保線区が歓和地蔵を建立している。1980年11月には金華信号場西方の高台に追悼碑が建てられた。毎年6月には供養祭が営まれているともいわれるが、主催者や最新の実施状況までは確認できていない。

語られてきた怪異談

怪談は、主に鉄道の現場で働く人々の間で語られてきた。雨の日にトンネルの中で「腹減った、飯くんろ」という声がする。機関車の前に血だらけの男が立っているので停車して調べると、誰もいない。発車するとまた現れる。乗客が「火の玉を見た」「信号が消えて、血だらけの男が立っていた」と語った。そんな話が、地元で伝承されてきた話として紹介されている。さらに駅長官舎や信号所では、幽霊が出る、職員が勤務を嫌がった、家族の病気や事故が「タコの祟り」と噂された、という話も残る。

こうした話の出所には注意が必要だ。かつてJR北海道旭川支社のサイトに国鉄職員の体験談が掲載されていたとされるが、その原典を今回は確認できなかった。ネット上の山菜採りや夜行列車の話は、体験者の身元が不明な噂にとどまる。また、怪談が人骨の発見と同時に生まれたのか、それ以前から語られていたのかを示す資料も見つからなかった。

史実と怪談の線引きを整理する

ここまでの内容を整理すると、確認できているのは次のような点だ。トンネルが大正3年に開通した現役の鉄道施設であること、1970年の修復工事で人骨が見つかったこと、その後に遺骨が収容されて供養が重ねられてきたこと。一方で、犠牲者の正確な数や個々の死の経緯、そして怪異の目撃談の多くは、伝承や噂の域を出ない。声や火の玉、血まみれの男の話は「そう語られてきた」という事実であって、心霊現象が実在した証拠ではない。この線を引いておくことが、犠牲者に対しても読者に対しても誠実な書き方だと考えている。

現在のトンネルと、慰霊の場所

現在の常紋トンネルは、石北本線の列車が通る普通の鉄道トンネルだ。ツアー列車が通常より遅い速度で通過し、手前の金華信号場にも停車するという報道もあり、この場所が単なる怪談の舞台ではなく、鉄道の歴史を語る場所でもあることがうかがえる。トンネルから少し離れた歓和地蔵と追悼碑は、犠牲者を供養するために建てられた慰霊の場だ。そこを訪れる人は、ここが観光地ではなく祈りの場所であることを意識しておきたい。

オカルト研究室室長の考察

このトンネルの怪談は、公式の記録に残らなかった死を、現場の人々が語りの形で記憶してきたものとも読める。人柱の話は人骨の発見より前から語られていたとされ、事実が確認される前から、人々はその死をどこかで感じ取っていたのかもしれない。怪談を楽しむ際には、背景に実在の労働者の死があることを忘れたくない。トンネルは現役の鉄道施設であり、線路内への立入りは危険で、法律でも禁じられている。訪ねるなら、歓和地蔵や追悼碑の前で静かに手を合わせるにとどめ、肝試しや撮影目的の訪問は控えてほしい。

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