うつろ舟とは?|江戸時代のUFO説を史料の食い違いから読み解く

うつろ舟とは?|江戸時代のUFO説を史料の食い違いから読み解く

江戸時代の後期、常陸国の海岸に、箱のような形をした不思議な舟が流れ着いた。乗っていたのは、見慣れない装いの若い女性がひとり。言葉は通じず、両手には四角い箱を抱え、誰にも触らせなかったという。うつろ舟と呼ばれるこの奇談は、現代では「江戸時代のUFO事件」として紹介されることも多い。しかし、記録を一つずつ読んでいくと、そこにあるのは宇宙人の話というより、「同じ事件のはずなのに、記録ごとに細部が違う」という不思議さである。確認できる記録と諸説を、分けて整理してみたい。

享和3年、常陸国の浜に流れ着いたとされる舟

事件が起きたとされるのは享和3年(1803年)。国立公文書館が所蔵する『弘賢随筆』には、2月22日、常陸国の「はらやどり」という浜に舟が漂着したと記されている。場所は現在の茨城県神栖市波崎の舎利浜ではないかと言われているが、断定はされていない。舟は香合(香を入れる容器)のような形で、長さは3間(約5.5メートル)ほど。上部はガラス障子、底は鉄板で覆われていたという。乗っていたのは女性ひとりで、水や食べ物も積まれていた。馬琴らが編んだ『兎園小説』にも、ほぼ同じ内容の「虚舟の蛮女」が載っており、こちらでは女性の眉と髪は赤く、顔色は桃色で、白い付け髪を背に垂らしていたと描かれている。

箱の中身は「男の首」か

女性が抱えていた箱は、二尺(約60センチ)四方ほど。『弘賢随筆』には、土地の古老が「蛮国の王の娘が密通の罪で流されたのだろう。箱の中身は、相手の男の首ではないか」と語ったとある。ただし、これはあくまで古老の推測であり、箱が開けられたという記録はない。結末も、何とも後味が悪い。役所に届け出れば費用も手間もかかるため、漁師たちは女性を舟に戻し、沖へ押し流したというのである。

史料ごとに食い違う、女性と舟の姿

同じ事件を伝えているはずなのに、史料によって描写が揺れている。たとえば天保15年(1844年)ごろの『梅の塵』は、女性を「雪のように白い肌に、黒髪を長く垂らした20歳ほどの人物」と描く。『兎園小説』の「赤い眉と髪」とは正反対である。漂着地も「原舎浜」と別の表記になり、領主名も食い違う。箱についても、『梅の塵』は「小さな箱」としか書かず、中身には触れていない。日付に至っては、『梅の塵』は「春」としか書かない。こうした食い違いは、後世の書き写しや脚色によるものか、実際に別々の情報源から集まった話なのか、はっきりとは分からない。研究者の田中嘉津夫氏(岐阜大学名誉教授)は、関連する史料を11種類確認したと紹介しているが、数え方は調査の年によって変わる。

「伴家文書」に出てくる実在の地名

田中氏が注目するのが、2014年に発見された「伴家文書」である。ここには漂着地が「常陸原舎り濱」と記されていた。これは伊能忠敬の地図(伊能図)にも見える実在の地名で、現在の舎利浜にあたるとされる。田中氏は、他の史料の「はらやどり」などは地名として実在の根拠が乏しいと指摘し、伴家文書の信憑性は比較的高いと見ているという。ただし、これは田中氏の見方であり、事件の実在そのものを証明するものではない。

UFO説、異国船説、創作説

うつろ舟をUFOとする見方は、1947年以降のUFOブームのなかで出てきた解釈だと、懐疑派の皆神龍太郎氏は述べている。ただ、誰が最初に言い出したのかは、今回の調査では確認できなかった。江戸の史料のどこにも、舟が空を飛んだという記述はない。異国船説については、舟内の文字が西洋の文字に似ているという指摘がある。皆神氏は、浮世絵の枠にあるオランダ語風の文字や、長崎の祭りの船型の曳物の標識との類似を挙げ、宇宙文字ではなく西洋文字の模倣だとの見方を示している。一方、田中氏は、外国船が上陸していれば公文書に残るはずだが見つかっていない、としている。創作説では、民俗学者の柳田國男が『兎園小説』の記事を「作り話」と評したとされるが、原典は確認できていない。

金色姫伝説との関係

茨城には、繭の形をした舟で流れ着いた金色姫が、養蚕を伝えたという伝説がある。田中氏は、水戸で見つかった「水戸文書」に描かれた女性の衣装が、神栖市の星福寺にある蚕霊尊像に似ていることから、関連を考えている。ただし、田中氏自身がこれを「大胆な仮説」と位置づけており、学界で定説になっているわけではない。

元禄の「ウツホ舟」という類話

似た話は、これより100年以上前にもある。『改正甘露草』には、元禄11年(1698年)、三河国の吉田浦(現在の愛知県豊橋市)に女ひとりを乗せた「ウツホ舟」が流れ着いた話が載る。言葉が通じず、長崎へ送り返したようだとされる。しかも、この話には舳先に男の首をさらしていたという描写が出てくる。『兎園小説』の「箱の中の首」と通じる点が気になる。うつろ舟は、1803年の一度きりの事件ではなく、江戸時代に繰り返し語られた「女と舟と首」の型の物語だったのかもしれない。

オカルト研究室室長の考察

『兎園小説』を編んだ兎園会は、馬琴らが奇事異聞を持ち寄って楽しみ、考証する集まりだったとされる。うつろ舟は、そこで語られた「面白い奇談」でもあったのだろう。一方で、複数の史料に似た話が残るのも事実である。何かが浜に流れ着いたのか、噂が噂を呼んだのか、答えは出ていない。ただ、費用を惜しんで女性を沖へ押し戻した、という顛末だけは、当時の人々の暮らしと異国への恐れを、妙に生々しく伝えている気がする。UFOと呼ぶより、まず史料の揺れを楽しみたい奇談である。

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