
耳なし芳一―平家の亡霊に見初められた琵琶法師
盲目の琵琶法師が、夜な夜な何者かに導かれ、亡霊たちのために琵琶を弾き続けていた――小泉八雲の『怪談』にも収められ、世界的にも知られる日本の代表的な怪談「耳なし芳一」。今回はこの物語と、その背景にある壇ノ浦の悲劇について紹介したい。
壇ノ浦に沈んだ幼き天皇――物語の史実的背景
この物語の舞台となっているのは、1185年に現在の下関市・関門海峡で行われた壇ノ浦の戦いだ。源氏との最後の戦いに敗れた平家は、幼い安徳天皇を守りきることができず、天皇の祖母にあたる二位尼が「波の下にも都がございます」という言葉とともに、わずか数え年8歳だった天皇を抱いて入水したと『平家物語』は伝えている。この戦いにより、平家の勢力は事実上滅亡することとなった。実在した幼い天皇の死という重い史実の上に、後世さまざまな怪異の物語が積み重ねられていくことになる。
盲目の琵琶法師、芳一の物語
時は下り、壇ノ浦にほど近い阿弥陀寺という寺に、芳一という盲目の琵琶法師が暮らしていた。彼は平家物語の中でも特に壇ノ浦の合戦を語る演奏に優れ、その音色は鬼すら涙を誘うと評判だったという。ある夏の夜、住職が留守にしている間、一人の武士が芳一のもとを訪れ、「高貴な方が演奏をお聴きになりたいと仰せです」と告げる。芳一はその武士に導かれるまま、立派な屋敷らしき場所で演奏を披露し、居並ぶ聴衆から涙とともに惜しみない賞賛を受けた。この夜のことは誰にも話さぬようにと言われ、以後も夜な夜な同じように連れ出されるようになる。
導かれた先は、亡霊たちが眠る墓地だった
芳一の不在に気づいた住職は不審に思い、雨の降る夜、寺男たちに提灯を持たせて後を追わせた。すると芳一がいたのは豪華な屋敷などではなく、安徳天皇の墓の前――誰もいないはずの雨の墓地で、無数の鬼火に囲まれながら、一心不乱に琵琶を弾き続けていたのだった。芳一は、壇ノ浦で滅んだ平家の亡霊たちのために、来る夜も来る夜も演奏させられていたのである。
全身に経文を――そして耳だけが残された理由
このままでは芳一の身に危険が及ぶと悟った住職は、芳一の全身に般若心経を書き記し、亡霊の目に見えないようにする秘策を講じた。そして何があっても声を出したり動いたりしないよう言い聞かせる。ところがこの時、なぜか両耳にだけ経文を書き忘れてしまう。その夜、再び芳一を迎えに来た武者の霊は、姿の見えない体の中に、宙に浮かぶ二つの耳だけを見つけてしまう。「これしか残っていない」と、その耳をもぎ取って持ち帰った――こうして芳一は一命を取り留めたものの、両耳を失い、「耳なし芳一」と呼ばれるようになったのだという。
今も残る赤間神宮と芳一堂
物語の舞台となった阿弥陀寺は、明治の神仏分離を経て、現在は安徳天皇を祀る赤間神宮となっている。境内には1957年に建てられた「芳一堂」があり、芳一の像が安置されているほか、平家一門の墓とされる塚も残されている。毎年7月には芳一の霊を慰める琵琶供養祭も行われており、伝説は今も土地の記憶として大切に受け継がれている。
世界に広めたのは小泉八雲だった
この物語のルーツは、江戸時代に書かれた怪談集『臥遊奇談』に収められた「琵琶秘曲泣幽霊」という作品にまで遡るとされている。これを現代にまで広く知らしめたのが、日本に帰化した作家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)だ。彼が1904年に発表した怪談集『Kwaidan』の中に、この物語を英語で美しく書き起こした「Hoichi-the-Earless」として収録したことで、日本国内はもちろん、海外にまでこの物語が広く知られるようになった。1965年には小林正樹監督により映画化もされ、カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞するなど、国際的にも高い評価を得ている。
オカルト研究室室長の考察
この物語が今も色褪せずに語り継がれているのは、恐怖の演出の巧みさだけでなく、その根底に、滅びゆく者たちへの鎮魂の思いが込められているからかもしれない。芸を極めた者だからこそ亡霊たちにまで見初められてしまうという皮肉な構図もまた、この物語の忘れがたい魅力の一つと言えるだろう。
この記事へのコメントはありません。