
松江城・丸亀城に伝わる人柱伝説を検証する
城の石垣や橋、堤防といった建造物を無事に完成させるため、人を生きたまま土中に埋めたとされる「人柱」の伝説が、日本各地に残されている。恐ろしい風習のように語られることも多いが、実際にはどこまでが史実で、どこからが伝説なのだろうか。今回はこの人柱伝説について紹介したい。
人柱とは何か――水神を鎮めるための信仰
人柱とは、建造物の完成や安全を神に祈願するため、人を生贄として捧げたとされる風習・伝説の総称だ。特に、氾濫を繰り返す川や決壊しやすい堤防の工事にまつわる伝説が多く、水の中には水神や大蛇といった「主」が棲んでいて、その怒りを鎮めるために人柱が必要とされた、という説話の型が全国各地に共通して見られる。文献上の初出は鎌倉時代の『平家物語』とされ、こうした伝説が特に多く語られるようになったのは江戸時代前期のことだったという。
松江城に伝わる「盆踊り伝説」
島根県の松江城には、築城の際、何度積んでも崩れてしまう石垣があり、城下で評判の美しい踊り手だった娘が人柱として埋められたという伝説が伝わっている。完成後、「城下で盆踊りを行うと天守が揺れ、城下に災いが起こる」と恐れられるようになり、この言い伝えから、松江では今も盆踊りを行わない風習が残っているとされる。
丸亀城の「豆腐売り」伝説
香川県の丸亀城にも、石垣普請が難航していたある雨の夕暮れ、たまたま通りかかった豆腐売りが人夫たちに捕らえられ、人柱として生き埋めにされたという伝説が語り継がれている。それ以来、雨の日になると石垣のあたりから「とうふ、とうふ」と物悲しい声が聞こえるようになったのだという。もっとも、豆腐の行商が広まったのは江戸時代以降とされ、時代背景と整合しない部分もあることから、後世に形作られた説話である可能性が高いと指摘されている。
記紀に残る最古の人柱譚と、有名なことわざの由来
人柱伝説の中でも最も古い記録とされるのが、『日本書紀』に記された茨田堤(まんだのつつみ)の逸話だ。淀川流域の治水工事がどうしても難航した際、神のお告げにより二人の人物が人柱に選ばれたと伝えられている。また、橋の建設をめぐる別の伝説では、「継ぎ当てのある袴を着た者を人柱にすべきだ」と提案した人物自身が、皮肉にもその条件に当てはまってしまい、自ら人柱に選ばれることになったという物語も伝わっている。この伝説にちなんで生まれたとされるのが、「余計なことを言わなければ災いを招かずに済んだ」を意味することわざ「雉も鳴かずば撃たれまい」だ。
考古学的には裏付けが乏しい
これほど多くの伝説が残っている一方で、考古学的な発掘によって人柱の存在が明確に裏付けられた例は、国内では非常に少ない。江戸城の櫓跡から人骨が見つかり話題になったこともあったが、後の調査で築城以前の寺院墓地の埋葬者だった可能性が高いとされている。城郭研究の専門家も、建築物における人柱が実際に立証された例はないと指摘しており、多くの場合、人形や器物を代わりに埋める「地鎮」の儀礼が実際には行われていたと考えられている。
数少ない「物証に近い」例外
そんな中、大分県の日出城(ひじじょう)は、比較的物証に近いとされる珍しい事例として知られている。1960年に石垣の基礎付近から人骨が発見されており、近年の再調査では「人柱の可能性が高まった」との見解も示されているという。とはいえ、これも「確定」ではなく「可能性が指摘されている」段階にとどまっており、人柱伝説の中では極めて例外的な位置づけであることに変わりはない。
オカルト研究室室長の考察
物証に乏しいとはいえ、これほど広く、そして具体的に語り継がれてきた人柱伝説の背景には、原因の分からない工事の難航や、労働者の事故死といった、実際に起きた出来事の記憶が形を変えて残っているのかもしれない。恐ろしい物語の奥に、名もなき誰かの労苦への想像力が働いているのだとすれば、この伝説もまた、大切に語り継いでいくべきものなのだろう。








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