六道の辻

あの世への入口―京都・東山の「六道の辻」

京都・東山の一角に、「この世とあの世の境目」と語り継がれてきた場所がある。「六道の辻」と呼ばれるこの地には、平安時代の官僚が夜な夜な冥界に通い、閻魔大王に仕えていたという不思議な伝説が伝わっている。今回はこの六道の辻と、そこに眠る井戸にまつわる物語を紹介したい。

「六道」とは何か――冥界への入口としての鳥辺野

仏教では、悟りを得られない魂は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天という六つの世界を輪廻し続けるとされ、これを「六道」と呼ぶ。京都・東山の麓は、平安京有数の葬送の地であった「鳥辺野」への入口にあたる場所で、亡骸を運ぶ葬列が必ずこの辻を通ったことから、生者の世界と死者の世界を分かつ境界とみなされるようになったという。かつてこの一帯には、死者を弔うための六つの堂が集まっていたと伝えられており、その名残が今も「六道珍皇寺」として残されている。

昼は朝廷、夜は地獄――小野篁の伝説

この六道珍皇寺にまつわる最も有名な伝説の主人公が、平安時代の実在の官僚・小野篁だ。優れた学者・詩人として知られ、百人一首にも歌が採られている人物だが、彼にはもう一つの顔があったと語り継がれている。昼は朝廷に仕える官吏として働き、夜になると寺の井戸を通って冥界へ下り、閻魔大王の側近として死者を裁く仕事を手伝っていたというのだ。この伝説は、遣唐使への同行を拒み一時は隠岐へ流されるなど、反骨の人物として知られた篁の実像と重なり合い、後世さらに語り継がれていったと考えられている。

現存する「冥土通いの井戸」

篁が冥界へ下ったとされる井戸は「冥土通いの井戸」と呼ばれ、六道珍皇寺の本堂裏手に今も実際に残されている。通常の拝観時間には格子越しに遠目で眺めることしかできないが、特別拝観の期間には間近で見ることができるという。境内の閻魔堂には、篁自らが彫ったと伝わる閻魔大王と篁自身の像も安置されており、伝説の存在感を今に伝えている。

2011年に発見された「黄泉がえりの井戸」

興味深いことに、篁がこの世に戻ってくる際に使ったとされる「出口」の井戸は、長らく所在が分からなくなっていた。ところが2011年、寺に隣接する土地から新たな井戸が発見され、これが篁の「黄泉がえりの井戸」であると紹介されるようになった。今では「行き」の井戸と「帰り」の井戸がそろって語られるようになり、伝説にさらなる厚みを加えている。

姿を見せない「迎え鐘」――六道まいりの風習

六道珍皇寺では、お盆を前にした毎年8月7日から10日にかけて、先祖の霊を迎える「六道まいり」という行事が行われている。参拝者は高野槙の枝を求め、故人の名を記した水塔婆を清め、鐘楼の中に隠されて姿の見えない「迎え鐘」を綱を引いて鳴らす。この鐘の音は「十万億土」の彼方まで響き渡り、冥界にいる先祖の霊を呼び戻すと信じられている。姿を見せずに音だけを届けるという珍しい鐘のあり方も、この場所が持つ独特の空気を物語っているようだ。

周辺に色濃く残る「死者の記憶」

六道の辻の周辺には、ほかにも死者にまつわる古い言い伝えが色濃く残っている。かつてこの辻には六つの堂が集まっていたとされ、その一つである西福寺には、人が死んでから朽ち果てるまでの過程を九段階で描いた「九相図」という絵が伝わっている。これは、この世の無常を悟るための仏教的な瞑想画とされるものだ。少し歩いた先にある六波羅蜜寺も、平安時代の僧・空也上人ゆかりの寺として知られ、口から六体の阿弥陀仏が現れる姿を表した独特の像で知られている。このあたり一帯が、平安京の中でも特に「死」と深く結びついた土地だったことがうかがえる。

オカルト研究室室長の考察

怪異譚として語られがちな六道の辻だが、実際に足を運んでみると、恐怖よりも、亡くなった人々を敬い、迎え入れようとする穏やかな祈りの気配のほうが強く感じられる場所なのかもしれない。実在した一人の官僚の反骨精神が、千年を超える時を経て「冥界を行き来する人物」という壮大な物語へと育っていった過程には、日本人の死生観の奥深さが表れているように思う。

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