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旧犬鳴トンネルの真実 ― 実際の事件と「犬鳴村」伝説を分けて考える

「この先、日本国憲法は通用しない」——そんな看板が立っているという噂とともに語られてきた、福岡県の旧犬鳴トンネル。「日本最恐の心霊スポット」とも呼ばれ、「地図から消された村・犬鳴村」の入り口だとまで囁かれるこの場所には、都市伝説とは切り離せない、実際に起きた凄惨な事件の記憶が刻まれている。今回は、この場所の史実と伝説を整理してみたい。

明治から続く旧犬鳴トンネルの歴史

旧犬鳴隧道の工事が最初に着手されたのは、1884年から1885年にかけてのことだった。しかし当時の技術力と費用の不足により、工事は一度中断してしまう。1927年に再び陳情が行われ、ようやく1949年11月3日、県道「福丸箱崎線」として旧犬鳴トンネルが開通した。

それから24年後の1975年、全長1,385メートルの新犬鳴トンネルが開通し、福岡と北九州を結ぶ幹線道路としての役割はそちらに移る。役目を終えた旧トンネルとその周辺の旧道は、人の往来がほとんどない場所へと変わっていった。

1988年、実際に起きたリンチ焼殺事件

旧犬鳴トンネルが「恐怖の地」として知られるようになった直接のきっかけは、1988年12月に起きた事件である。福岡県警は、殺人および逮捕監禁の容疑で少年グループ5人を逮捕した。彼らは工員の男性の手足を縛った上でガソリンをかけ、焼き殺したとされている。1991年、主犯格の少年には無期懲役が確定した。

この事件が地元で語り継がれる中、1992年と2001年には、肝試しに訪れた若者の自動車事故も発生している。現実に起きたこれらの悲劇が、この場所の「恐ろしい場所」というイメージを強く印象づけていった。

ネットが生んだ「犬鳴村」伝説

役目を終えた旧道には、ホームレスが小屋を建てていたり、マムシ採りのためのテントが張られていたり、不法投棄を戒める警告看板が立てられていたりした。こうした現実の光景が、訪れた人々の間で誤解や尾ひれを伴って語られるようになる。

「地図から消された村」「日本国憲法が通用しない」といった要素を含む「犬鳴村」伝説がインターネット上に姿を現すのは、1999年10月、2ちゃんねるのスレッドが最古の記録とされている。津山事件や杉沢村伝説といった、既存の都市伝説の要素も取り込みながら、この伝説は90年代末から2000年代初頭のインターネット普及とともに全国に広まっていった。

現在は完全封鎖 ― 自治体の注意喚起

現在、旧犬鳴トンネルはコンクリートブロックによって完全に封鎖されている。トンネルが所在する福岡県宮若市と久山町は、それぞれ入口にゲートやバリケードを設置し、立ち入りを厳しく制限している。宮若市は公式に「旧道からトンネルへ向かう先はすべて市有地であり、立ち入り禁止」「不法侵入は犯罪になります」と注意を呼びかけており、道路の陥没や落石の危険性についても周知している。

なお同市は、2020年公開の映画『犬鳴村』について「フィクション(架空)の内容であり、映画の内容は事実と異なります」と、わざわざ公式に明言している。

オカルト研究室室長の考察

旧犬鳴トンネルをめぐる恐怖は、決して根も葉もないものではない。そこには確かに、実際に一人の人間の命が奪われたという重い事実がある。しかしその事実が、いつしか「地図から消された村」という架空の物語と混ざり合い、娯楽としての怪談へと形を変えていった。

現地は現在、完全に立ち入りが禁止された私有地・市有地である。興味本位での訪問は不法侵入という犯罪行為になるだけでなく、そこに眠る犠牲者への敬意を欠く行為でもあることを、忘れずにいたい。

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