
件(くだん)― 生まれてすぐ予言し死ぬ人面牛、日露戦争から関東大震災まで
牛から人面の子が生まれ、生後わずか数日のうちに恐ろしい予言を口にして息絶える——そんな妖怪が、日本各地で語り継がれてきた。その名は「件(くだん)」。文字通り「人」と「牛」を組み合わせたこの漢字が示す通り、人間の顔と牛の体を持つとされる、予言する怪異である。今回はこの「件」にまつわる伝承を、時代を追ってたどってみたい。
生まれてすぐ予言し、死んでいく牛 ― 「件」とは何か
件は、牛の胎内から生まれる異形の存在とされる。人間の顔に牛の体を持ち、生まれてから数日のうちに、豊作や凶作、疫病の流行、干ばつ、戦争など、社会を揺るがす重大な出来事を人間の言葉で予言し、そのまま息を引き取るという。そして恐ろしいことに、件が語った予言は「間違いなく的中する」と信じられてきた。作家・内田百閒も自身の小説の中で、件を「生れて三日にして死し、その間に人間の言葉で未来の凶福を予言するもの」と描いている。
1819年、文政の記録に残る最古の件
件に関する記録のうち、最も古いものの一つが文政2年(1819年)の『密局日乗』である。そこには、防州上ノ関(現在の山口県)の民家で飼われていた牛から、人面牛身の子牛が生まれ、自ら「件」と名乗り、豊作とその後の兵乱を予言したと記されている。
天保の大飢饉と件の瓦版
天保7年(1836年)には、丹後国倉橋山に件が現れたとする話が瓦版で報じられた。この時期は「天保の大飢饉」が深刻化していた頃と重なる。宗教学者の島田裕巳氏は、こうした件の噂が広まった背景には、人々が豊作への期待を託したいという心理があったのではないかと指摘している。
日露戦争を予言し、剥製となった件
明治37年(1904年)頃、長崎県・五島列島の農家で生まれたとされる件は、生後31日目に「日本はロシアと戦争をする」と予言して死んだと伝えられている。同年に日露戦争が開戦したことから、この予言はまさに的中したとされ、その剥製は長崎の八尋博物館に陳列されたという。明治42年(1909年)の名古屋新聞は、この件の剥製についての記事を掲載している。
関東大震災、そして太平洋戦争 ― 昭和にも現れた件
件の伝承は昭和に入っても途絶えることはなかった。大正12年(1923年)の関東大震災の際にも件が出現したという話が伝わっているほか、太平洋戦争末期の昭和18年(1943年)には、山口県岩国市で「来年の4、5月ごろには戦争が終わる」と件が予言したとの噂が広まったと記録されている。
今も残る「件のミイラ」
件は、その剥製やミイラが見世物小屋で公開されるという形でも語り継がれてきた。明治25年(1892年)、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は著書『知られぬ日本の面影』の中で、見世物師が件の剥製を島根県美保関に持ち込もうとした際、突風によって上陸できなくなったという奇妙な噂を記録している。
近年では、怪談作家の木原浩勝氏が2004年、群馬県在住の人物から件のミイラを譲り受けている。その持ち主の父親はかつて興行師として、これを「牛人間」と称して見世物にしていたのだという。
オカルト研究室室長の考察
飢饉や戦争、震災——件が語ったとされる予言の多くは、人々が最も不安を抱えていた時代に現れている。それはこの妖怪が、実際に未来を見通す力を持っていたからというよりも、先の見えない不安の中で、人々が「答え」を欲していたことの表れなのかもしれない。
もし今、新たな件が生まれるとしたら、その口からはいったいどんな言葉が語られるのだろうか。想像するだけで、少し背筋が寒くなる。





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