• HOME
  • 記事
  • 妖怪
  • 天狗 ― 修験道が生んだ妖怪と、江戸に実在した「天狗にさらわれた少年」
天狗

天狗 ― 修験道が生んだ妖怪と、江戸に実在した「天狗にさらわれた少年」

山で人が忽然と姿を消す「神隠し」。その犯人としてしばしば名指しされてきたのが、赤ら顔に高い鼻、翼を持つ妖怪「天狗」である。以前このコーナーで紹介した崇徳上皇も、死後に天狗になったと伝えられる人物の一人だった。今回はこの天狗という妖怪の正体と、実際に「天狗にさらわれた」と語った少年の記録を追ってみたい。

中国の「流星」が、日本では山の妖怪へ

「天狗」という言葉は、もともと中国で流星を意味する言葉だった。大気圏に突入した火球が地表近くで爆発し、大きな音を立てる現象を、犬が吠える姿になぞらえたものだという。しかし日本では、飛鳥時代の記録を最後に流星を天狗と呼ぶ用例は見られなくなり、平安時代には山に棲む妖怪へと姿を変えていった。

修験道と結びついた山伏姿の妖怪

天狗は、山伏の装束をまとい、赤ら顔で高い鼻を持ち、翼で空を飛ぶ姿として広く知られるようになる。これは山岳信仰・修験道と結びついた結果であり、その高い鼻は「鳥のくちばしの名残」と考えられている。鼻の高い「鼻高天狗」のほか、くちばしと翼を持つ「烏天狗」というタイプも存在し、愛宕山の太郎坊、秋葉山の三尺坊、鞍馬山の僧正坊など、名を持つ大天狗たちが各地で信仰の対象となってきた。

「天狗攫い」と神隠し

山中で人が行方不明になる現象は、古くから「天狗攫い」と結びつけられてきた。長野県などでは、天狗が鯖を嫌うという言い伝えから、「鯖食った、鯖食った」と唱えれば天狗にさらわれる難を逃れられるとされ、行方不明者を捜す際には、その名前とともにこの言葉を呼びかける風習まで存在した。

江戸時代、天狗にさらわれたと語った少年・寅吉

天狗攫いをめぐる伝承の中でも、特によく知られているのが「仙童寅吉」の逸話である。文化3年(1806年)生まれの寅吉は、7歳のとき、江戸・上野の五条天神で出会った旅姿の老人に「この壺に入って一緒に行けば占いを教えてやろう」と誘われ、壺に入ったところ常陸国の山中に現れたのだという。以後、その老人のもとで占術・医術・武術などを学んだと寅吉は語った。

文政3年(1820年)、少年となった寅吉のこの体験談は江戸で評判になり、国学者・平田篤胤が直接彼に問答を重ね、その内容を『仙境異聞』としてまとめている。地震の原因から宇宙の成り立ちまで、篤胤との対話は多岐にわたったと伝えられている。

柳田國男が示した、もう一つの「正体」

もっとも、民俗学者・柳田國男は、こうした天狗攫いの実態について、より生々しい解釈を示している。悪質な修験者や山の民が、性的な目的で美少年を連れ去っていた事例が、天狗攫いという伝承の背景にあったのではないか、というのだ。当時、こうした被害に遭った少年は「天狗の情郎」と呼ばれていたという。

崇徳上皇が化けたという「金色の鳶」

先に紹介した崇徳上皇も、崩御後は「金色の鳶と化した」天狗の王になったと伝えられている。天狗がしばしば光り輝く鳥として描かれてきたことを思えば、恨みを抱いて世を去った上皇が、山を統べる妖怪の王として語り継がれたことにも、どこか納得させられるものがある。

オカルト研究室室長の考察

山で説明のつかない失踪が起きたとき、人々はそれを「天狗の仕業」として語ることで、恐怖に一応の説明をつけてきたのかもしれない。しかしその裏には、柳田國男が指摘したような、人間自身による生々しい犯罪が隠れていた可能性もある。妖怪の伝承とは、時に恐ろしい現実を覆い隠すための、もう一枚の”面”なのかもしれない。

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。