
座敷童子・亀麿の伝説 ― 全焼から復活した「座敷わらしの宿」緑風荘
座敷にひっそりと現れ、その家に富をもたらすと言われる子どもの姿をした妖怪「座敷童子」。東北地方、特に岩手県に色濃く伝わるこの妖怪は、単なる昔話にとどまらず、現代の実在する旅館の運命とも深く結びついてきた。今回はこの座敷童子の伝承と、ある旅館に伝わる実話について紹介したい。
座敷童子とは ― 家の盛衰を左右する神
座敷童子は、柳田國男の『遠野物語』にも記された、岩手県遠野地方を中心に伝わる妖怪だ。『遠野物語』には「この神の宿りたまふ家は富貴自在なりといふことなり」と記されており、座敷童子が棲みつく家は栄え、去っていった家は没落するという言い伝えが各地に残っている。実際に『遠野物語』には、座敷童子がいなくなった家の一家が食中毒で全滅したという話や、子どもが座敷童子を弓矢で射たところ、その家の家運が傾いてしまったという話も記録されている。
南北朝の落武者の子、亀麿の伝説
座敷童子にまつわる話の中でも特に有名なのが、岩手県二戸市の旅館「緑風荘」に伝わる「亀麿」の物語である。伝承によれば、南北朝時代、関東から陸奥国へと落ち延びてきた南朝方の武者とその一族がこの地にたどり着いたが、当時6歳だった息子・亀麿が病でこの世を去ってしまう。亀麿は「末代までこの家を守り続ける」という言葉を遺したとされ、その魂が旅館の奥座敷「槐の間」に棲みつき、家を守る存在になったと伝えられている。
全国に知られるきっかけとなった、1970年代のオカルトブーム
緑風荘は1955年に旅館として営業を開始したが、全国的な知名度を得たのは1971年、作家・三浦哲郎が座敷童子を題材にした小説「ユタとふしぎな仲間たち」を発表し、これが劇団四季によって舞台化されたことがきっかけだった。1970年代のオカルトブームとも重なり、「座敷わらしに会える宿」として全国から多くの宿泊客が訪れるようになった。
2009年の全焼、そして復活
しかし2009年10月4日、緑風荘は火災に見舞われ、中庭にある亀麿神社を除くほぼすべての建物が全焼してしまう。幸い従業員・宿泊客に怪我はなかったものの、旅館は長期の営業停止を余儀なくされた。その後、劇団四季から100万円の寄付が寄せられるなど、全国から再建を後押しする声と資金が集まり、投資ファンドの活用も含めた総事業費約3億円をかけて、2016年5月に営業を再開している。
座敷童子の正体をめぐる、もう一つの説
座敷童子の正体については、民俗学的に興味深い、そして同時に切ない説も存在する。民俗学者の佐々木喜善は、座敷童子は、かつて生活の困窮から間引きされ、土間などに埋葬された子どもの霊ではないかという説を唱えている。子どもの姿をした神として大切に祀られる座敷童子の伝承の裏に、東北の厳しい暮らしの歴史が刻まれているのだとしたら、この妖怪の物語は、また違った重みを持って見えてくる。
オカルト研究室室長の考察
火事で一度はすべてを失いながらも、多くの人々の力で見事に再建された緑風荘の物語は、座敷童子が本当に家を守り続けているかのような印象を私たちに与えてくれる。子どもの姿をしたこの妖怪が、なぜこれほど長く人々に愛され続けてきたのか。その答えの一端は、亀麿の「末代まで家を守る」という言葉に込められた、家族への深い思いにあるのかもしれない。








この記事へのコメントはありません。