
早良親王の怨霊|無実を訴えた皇太子と、長岡京が10年で放棄された理由
794年、桓武天皇は平安京に都を移した。それから千年余り続く京都の始まりである。だが、その10年前に造営が始まった長岡京は、わずか十年ほどで放棄された。その背景に語られるのが、無実を訴えて命を落としたとされる皇太子早良親王の怨霊である。日本の御霊信仰の始まりのひとつとも言われるこの事件を、史料に基づく範囲と後世の解釈を分けながらたどってみたい。
僧から皇太子へ、早良親王という人物
早良親王は、光仁天皇の皇子で、母は高野新笠、同母の兄が後の桓武天皇にあたる。768年に出家して東大寺に入り、770年に父の即位で親王となったが、僧としての立場から「親王禅師」と呼ばれたとされる。781年、兄の桓武天皇が即位すると同時に皇太子に立てられた。東大寺をはじめとする仏教界に強い影響力を持っていた人物で、その立太子は仏教界との関係を意識したものだったと推測する研究もある。ただしこれは筆者の推測であり、定説ではない。
長岡京での暗殺事件と、廃太子
784年、桓武天皇は都を平城京から長岡京へ移した。造営を主導したのは藤原種継である。ところが翌785年9月、種継は造営の現場で矢に射られ、翌日に亡くなった。捕らえられた大伴継人や佐伯高成らは、早良親王の関与を自白したとされる。大伴家持はすでに亡くなっていたが、連座して官位を奪われ、数十人が処罰された。親王は無実を主張したと伝わるが、皇太子の地位を廃され、乙訓寺に幽閉された。その後、淡路へ流される途中で亡くなったとされる。
絶食の経緯には食い違いも
親王は幽閉中から飲食を断ち、十日余りを経て、護送の途中の高瀬橋のほとりで息絶えたと語られる。ただし、絶食が史料のどれに基づく記述なのかは確認できていない。乙訓寺での絶食とする解説もあれば、配流の途中とする事典もあり、資料によって食い違いが残る。事件の首謀者だったのか、冤罪だったのかについても、確かな結論は出ていない。事典の中には、親王の関与は捏造だったと記すものもあるが、一方で、真実はわからないとする解説もある。本稿でも、親王を黒幕とも冤罪とも断定しない。
続く不幸と、段階的に強まった「鎮め」
親王の死後、桓武天皇の周囲では不幸が続いた。皇后の藤原乙牟漏、母の高野新笠、夫人の藤原旅子が相次いで亡くなったとされ、皇太子となった安殿親王(後の平城天皇)も病に倒れた。個々の没年は今回の調査では確認できていない。朝廷の対応は少しずつ強まっていく。790年には親王の墓に墓守を置き、792年には墓に濠を巡らせて穢れを避け、経典の読誦や幣帛の奉献を行わせた。同じ年、安殿親王の病が親王の怨霊によると占いで判明したとする記述もあるが、信頼度の低い補助資料であり、史料本文は確認できていない。それでも、数年かけて恐れが深まり、鎮めの手段が重ねられていった様子はうかがえる。
崇道天皇の追尊と、平安京遷都
800年7月、朝廷は早良親王に「崇道天皇」の尊号を贈った。さらに805年には、淡路国に寺を建てて墓を大和国の八島陵に改葬したとされる。罪人として廃された皇太子が、死後に天皇の称号を与えられたことになる。同じ800年7月には、かつて廃された井上内親王が皇后に復されており、二人は一組で扱われた可能性が見て取れるが、その意味づけは確認できなかった。
長岡京はなぜ放棄されたのか
では、長岡京はなぜわずか十年で放棄されたのか。怨霊を避けるための遷都だった、という説は有力な説のひとつだ。しかし研究者の間では、水害の史料が複数あり改造より新都の建設を選んだとする洪水説や、地形の狭さを理由にする説、災厄で土地が穢れたと考えてやり直したとする複合説も並ぶ。長岡京と平安京の造営を一連の過程とみる見方が主流とする解説もあり、怨霊説が定説とまでは言えない。
御霊として祀られる早良親王
863年に京都・神泉苑で営まれた御霊会では、崇道天皇は伊予親王、橘逸勢、文室宮田麻呂らとともに祀られたとされる。現在、上御霊神社(京都市上京区)は、早良親王や井上内親王、他戸親王など八柱の神霊を「八所御霊」として祀っている。社伝では、794年に崇道天皇の神霊を祀ったのが始まりとされる。怨霊として恐れられた人物が、やがて御霊として人々に祀られる存在になっていく。個人の怨霊譚というより、制度として鎮め祀る仕組みが整えられていく過程のなかに、早良親王は位置している。
オカルト研究室室長の考察
民俗学者の小松和彦氏は、怨霊化の根にあるのは勝者側の「後ろめたさ」だと述べている。早良親王も菅原道真も、自ら怨霊になろうとしたわけではない、という指摘は重い。祟りとは、亡くなった人の側の意思というより、生き残った側が自らの行いを恐れる心の表れだったのかもしれない。長岡京の跡は、いまも京都府の長岡京市や向日市に静かに残っている。恐れと祈りが重ねられてきた土地として、敬意を持って向き合いたい。
都市伝説や妖怪、心霊現象、未確認生物、歴史に残る不可思議な出来事を探究するオカルト愛好家。噂をそのまま紹介するだけでなく、伝承が生まれた背景や史実、科学的な説などを調べ、さまざまな角度から考察しています。信じる・信じないだけでは終わらない、オカルトの奥深さと面白さをお届けします。









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